「元気を産もう、宮崎県」 〜口蹄疫、発生から終息まで。その2〜

「元気を産もう、宮崎県」 〜口蹄疫、発生から終息まで。その2〜

6月13日、東京でのプロジェクトは終了したが、口蹄疫の被害は拡大し続けていた。

「10万頭パネルを宮崎に送ってくれないか?」宮崎の商店街活性化グループのリーダーから突然連絡がきた。「商店街のみんなで結束し、宮崎を地元から応援する活動を考えている。会場として広いスペースを借りれそうなので、そこに10万頭パネルを設置したい」役目の終わったパネルをどうするのか頭を悩ませていただけに、願ったりの提案だった。

6月19日からスタートした応援イベントで10万頭パネルは宮崎の人々に公開された。新聞など多くのメディアにも取り上げられ、その後宮崎の各所を巡回したと聞いている。ちなみに商店街活性化グループのリーダーとは、前出の小学生の応援メッセージをツイッターでアップし、使用にあたって尽力いただいた村岡浩司さんである。

7月下旬、宮崎県庁から連絡がきた。懸命な防疫活動に取り組んだ結果、口蹄疫はようやく沈静化し、7月27日に非常事態宣言を解除する予定。それを受けて、県民を代表し東国原知事より全国の人へお礼の新聞広告を出したいので制作してくれないか?とのことだった。口蹄疫に対しての一連の活動やツイッターなどを見てくれていた、県アピール課の甲斐慎一郎さんが声をかけてくれたのだ。

快諾した。が、提案した表現に東国原知事は出さなかった。宮崎県民の総意として、「どうもありがとうございました」の気持ちを届ける、お礼の手紙のような原稿にしましょうと提案したのだ。

 ほんとうに、
 ありがとうございます。

 全国のみなさまへ。口蹄疫は終息しました。
 4月26日に宮崎県で発生した口蹄疫によって、畜産農家のみなさまをはじめ、
 全国のみなさまには、大変なご心配とご迷惑をおかけしました。
 これまで、国、各都道府県、市町村、JAなどの関係団体、
 自衛隊にもご支援をいただきながら、懸命に防疫活動に取り組んでまいりました。
 その結果、口蹄疫は終息し、7月27日、家畜伝染病予防法に基づく移動制限区域・
 搬出制限区域を全面解除することができました。
 
 消毒などの防疫対応をいただいた隣県をはじめ各都道府県、関係機関のみなさま。
 全国から宮崎へ来ていただいた獣医師、現場作業員のみなさま。
 募金、義援金、ふるさと納税、物資のご支援をいただいた全国のみなさま。 
 その他、多数の激励メッセージ、宮崎を応援する活動などをいただいたみなさま。
 ほんとうに、ありがとうございました。
 みなさまからの「がんばろう」、けっして忘れることはありません。

 宮崎県は、今回の口蹄疫から多くを学びました。
 1つ1つを教訓に、家畜伝染病への強固な防疫体制を確立し、おいしさと安全安心な
 食づくりに取り組んでいきます。今まで以上におもてなしの心を大切に、
 力を合わせ、全国からのお客様をお迎えします。

 ぜひ、宮崎へお越しください。みなさまをお待ちしております。

 宮崎県

8月27日、発生確認から130日めに東国原知事は口蹄疫の完全終息を宣言した。

再び宮崎県庁から連絡があった。疲弊している県民を元気づけるポスターを作ってくれというものだった。宮崎の太陽のように明るくて、すべての県民にわかりやすく届く表現を作ろうと思った。青空の下、広い草原にずらりと並んだ笑顔の宮崎の人々。ベタではあるがそれがいい。そして、どうしても実現したいこだわりがあった。それは牛と豚を出すことだった。

ロケ地探しは難航したが、高原町にある宮崎県畜産試験場が場所を提供してくれた。試験場までの道中、何カ所かの消毒ポイントを通過し、入り口でスタッフ・出演者全員防疫服を身につけた。徹底した防疫体制のなか豚の持ち込みはさすがに出来なかったが、牛の出演は許可していただき、暑さの残る太陽の下、牧場の撮影ポイントへ向かった。

撮影を遠目に見守りながら、試験場長が訥々と語った。「ほんとうに大変でした・・。たくさんの牛や豚が死に、たくさんの人々が拡散を止めるために必死でがんばった。でもこれだけは言いたいんです、よく県内だけでとどめたと、他の県にまで被害が及ばなくてほんとうに良かった」

発生から終息まで、宮崎県内で処分された家畜の数は約29万頭に達したという。

P/Kazuhiko Watanabe
CD,AD/Eiki Hidaka
D/Kazushige Takebayashi
C/Thoru Ugumori(Poster),Yuhei Nayuki(NewsPaper AD)