「本は背表紙」 〜ホンダブックス〜

「本は背表紙」 〜ホンダブックス〜

パリのマレ地区に「Comptoir de l’image」という小さな本屋がある。意味は「イメージのカウンター」。写真集やアート本専門の古本屋だ。愛想のない元カメラマンのオヤジが店主だが、趣味嗜好の相性と品揃えはピカイチ。

頻繁にパリに出張していた頃、暇さえあればここを訪れ、本棚をゴソゴソと物色していた。ペン、アヴェドン、スティーグリッツ、ティルマンズ、マーティン・パー等の希少本、Twelvetrees Pressの絶版写真集、Visionaireの名作、コムデギャルソンの「Six」等々、欲しかった本のほとんどはこの店で手に入れた。

出会った本をスーツケースに満載して帰国する満足感と共に、もうひとつ楽しみがあった。アート本のスペシャリストに戦利品をお披露目し、あーだこーだとご教授願うのだ。その本の希少性、レアなエピソード、それぞれの出版社の新刊情報などなど、古本を肴に、湧き出るうんちくに耳を傾ける至福のひと時。そのお相手がホンダブックスの本多さんである。

ホンダブックスは、輸入アート本を専門に扱っている無店舗本屋さん。軽自動車に本を詰め込み、デザイン事務所やアート関連会社などを巡り訪問販売する。「いい本が手に入りました!」電話がかかってくると、ものの4、5分で満面の笑みを携えていらっしゃる。

流れるような所作でズラリと並べられる本、ツボにハマる的確なセレクションと、流暢なセールストークでまんまと購入してしまう。本への愛と豊富な知識で周りにもファンの多い、頼りになる本屋さんだ。

「お世話になった方々に何かお礼をしたい」。デザイン会社でADの肩書きをしょったばかりのある日、本田さんから相談を受けた。輸入アート本の訪問販売という業態に携わって20年。これまでお世話になった方々にお礼の気持ちを伝えたいので、何か考えてくれないか?という依頼だった。

これといって趣味も取り柄もないが、本だけには変質的なこだわりがあった。ナディフ、リムアート、ABC、嶋田洋書等々、キュレーションに一癖ある書店に潜る。目星をつけた本を手に取り、店員の目を気にしながら慎重にカバーを外す。

クロス地の色、質感、タイポグラフィの選定、文字組、レイアウト、箔押しの種類など舐め回すようにチェックする。特に重視するのは背表紙のデザインだ。装丁の美しい本は裸にしても美しい。手がけた装丁家の本に対する思いと力量は、普段目にすることのない背表紙にこそ表れると確信していた。

自分の目に狂いがなかったことを確認すると、満足げにカバーをかけ本棚にそっと戻す。端から見たら異常なフェティッシュぶりだが、とにかく本が好きだったのである。

「ポスターを作りましょう」。本への偏愛に満ちたポスター。それをお礼に配りましょう。

ホンダブックスの在庫本、自分のコレクション、八方かき集めた数百冊の本のカバーを片っ端に取り外す。クロス地の色が黒、白、赤、青のものだけを残す。次に作家を絞り込む。リスペクトしている画家、写真家、アーティスト。そして背表紙が美しい本を最後に残し無造作に積み上げてみる、それだけで十分に美しい。

積み上げた本を背表紙だけで表現したい。フォトグラファーには「本を立体的ではなく、フラットに撮影して下さい」とお願いした。レンズを除々に長玉に変えていく、それに伴い4×5のカメラが被写体から離れていく。

最後は480mmの超望遠、本から15メートル離れたスタジオの壁際までカメラを引いてみた、しかし、それでも立体的に見えてしまう。苦肉の策で本の裏側にかませを入れることにした。側面から見ると弓型に湾曲しているが、ファインダーを覗くと背表紙だけが重なって見える。身震いがした。そこに写っているのはただの積まれた本ではなく、強くて美しい別の何かだった。

ネットで容易に情報や画像が手に入るようになり、書店に通うことも少なくなった。本棚も満杯になり置く場所もない。それでも、プロダクトとしての本を愛して止まない。

P/Takahiro Kurokawa
AD,D/Eiki Hidaka