「幸福な仕事」 〜東海道新幹線30周年キャンペーン〜

「幸福な仕事」 〜東海道新幹線30周年キャンペーン〜

「この仕事お前やれ」。
デザイナーからアートディレクターに肩書きが変わった直後、突然ふられた仕事があった。東海道新幹線が開業から30周年を迎える。それにともなう新聞や雑誌、ポスターなどのグラフィックを中心とした大きなキャンペーンがあるのでそのADを担当しろとのこと。大手広告代理店のクリエイティブディレクターからの指名の仕事で「まぁ大変だと思うが食らいついていけ」というのが唯一のアドバイスだった。

根拠のない自信はあったのだが、その薄っぺらな自信はあっという間に崩れ落ちた。デザイナーとアートディレクターの仕事は全く別の職種だったのだ。

ディティール命の典型的なデザイン小僧だった自分にとって、人、世の中に目を据えながら、課題の本質を理解し、最適な解決方法を見いだし、ミッションを俯瞰で捉え、局面ごとに的確なジャッジをしていくには、決定的に視野と実戦と人生経験が足りなかった。

「これのどこがおもしろいの?」百戦錬磨のクリエイティブディレクターを前に、小手先のアイデア・表現は一瞬で見透かされことごとくボツをくらい続けた。「大変だと思うが・・」の意味がわかった。

連日連夜の1000本ノック、とことん追いつめられ、ある時取り組み方を変えた。新幹線にまつわるありとあらゆる資料を読みあさり、必死になって勉強しはじめた。程なくしてクリエイティブディレクターとようやく”会話”ができるようになり、クリエイティブ作業が前進しはじめた。「食らいつけ」とはこういうことだったのか。

「夢の超特急」と呼ばれた東海道新幹線は1964年の開業以来、10億キロ以上もの距離を走り抜け、28億人を超える人々を運び、文字どおり日本の大動脈となっていた。しかも驚いたことに、30年間死亡事故ゼロの記録を継続中だという。

安全に、正確に、という使命感に燃えながら深夜の保守作業など地道な努力を積み重ねる。人と人をつなぎ、都市と町をつなぎ、過去と未来をつなぐ。毎日緊張の連続ではあるが、そのやりがいのある”新幹線”という仕事をクリエイティブディレクターはこう表現した。「幸福な仕事」。

プレゼンテーションを終え、実制作にゴーサインがでた。30年間無事故で走り続け、これからも人の夢や希望を乗せて走り続けるであろう新幹線を、最高の”ポートレート”で表現したいと提案した。

日本の風景を真一文字に突き進む新幹線。この日本を代表する商品の撮影は、それにふさわしい写真家にお願いしたいと考えていた。

「撮影は思い出作りでもある」と聞いたことがある。憧れのフォトグラファーとの数日間は忘れることのない至福の日々だった。知りたいこと聞きたいことが山ほどあった。写真をめぐる様々な話、過去の作品や撮影秘話の数々。

本番前日、調子に乗って、好きだったリチャード・アヴェドン写真集の話をしたことがあった。その中にあった、アヴェドン自身のプリント指示の詳細さに感動したと力説した(恥ずかしい)。そんなの当たり前のことだよと笑いながら一蹴されたが、とにかく会話するだけで嬉しかったのだ。

新幹線は正確だった。滋賀県彦根市にある田んぼのあぜ道を撮影ポイントにした。被写体は時速270kmで通過するためシャッターチャンスは一車両ごとにワンチャンスしかない。ロケ地の通過時間を時刻表を元に計算し、ひたすら待つ。時計を片手にカウントダウンする。「あと1分で下り通過します」。新幹線はその時間ピッタリに轟音と共に姿を現し、一瞬で視界から消え去った。

何度かトライをくりかえし、ようやく日の光が絶好の位置にきた。「よし、本番」。フォトグラファーのかけ声で現場が緊張する。新米アートディレクターはなす術も無く、カメラの後方に待機するしかない。「あと3分で上り通過します」スタッフが身構える。突然、カメラの先50メートルあたりに白いゴミ袋がふわりと飛んできた。一瞬躊躇したが体が勝手に反応し走り出していた。取り除かなければ。

「入るなっ!」
フォトグラファーの怒声が背中に突き刺ささり思わず振り返った。こちらに向かって突進してくる。殴られると覚悟した。フォトグラファーは突然身をかがめ、僕が踏み散らかしたあぜ道の雑草を元に戻そうとしていた。「この草がいいんだよ」。

泣きたくなった。なんにも見えちゃいない。一緒になって雑草を復元し、カメラ位置へ急いだ。振り返るとゴミ袋はどこかに飛んでなくなっていた。

後日、写真事務所からプリントが仕上がったので受け取りにきてほしいと連絡があった。驚いたことにフォトグラファー本人も出迎えてくれた。「本来、こういうのは絶対見せることないけれど」そこには詳細な指示が書かれたテストプリントと最高に美しい新幹線のポートレートが並べて置いてあった。じっと見入った。写真が滲んでいた。しばらく顔を上げることができなかった。

先日、20年ぶりにそのフォトグラファーと仕事をした。挨拶をすると「あれ以来かぁ」と手を左から右にスーッと滑らせてくれた。撮影中ずっとそのフォトグラファーの背中を見ていた。
操上和美さんのカメラを構える姿は、相変わらずとてもかっこよかった。

新幹線30年分の様々なうんちく・エピソードを広辞苑のようにまとめた。
P/Kazumi Kurigami
CD/Hiroshi Sasaki
AD/Eiki Hidaka
D/Naoko Miyoda
C/Shigetomo Niioka