『Field of Dreams』 ~Yabane~

『Field of Dreams』 ~Yabane~

小学校の教諭だった父は熱狂的な巨人ファンだった。
敗戦すると翌日まで不機嫌で、授業では理不尽なゲンコツが乱れ飛んだと聞く。今なら即刻懲戒モノであろう。
夕飯時のテレビ観戦で巨人が劣勢になるとチャンネルを変えろとイラつき、それでも気になる戦況は息子たちにラジオで確認させる。逆転のチャンスが訪れるとチャンネルを戻せ!とひたすらめんどくさかった。

その昔、王貞治選手がホームランの世界記録756号を達成した試合があった。いつものようにほろ酔い上機嫌で帰宅した父を玄関で出迎え、録音していたラジオの実況を大音量で聞かせてあげた。
父はバンザーイと叫びながら、財布のお金をばら撒きはじめた。これはシメたと何度もリピートで聞かせ、多額の小遣いをせしめたことがあった。父にとって王選手は生涯で一番のヒーローだった。

巨人軍と郷里宮崎は縁が深い。長年に渡り春のキャンプ地となっているからだ。特に自宅があった宮崎市の青島はチームが宿泊しているホテルがあり、巨人軍選手は身近な存在だった。キャンプシーズンになると父は夜な夜な近所の居酒屋に繰り出し、今日は隣に堀内がいたとか柴田と話をしたなどと自慢げに語っていた。

そんな特殊環境もあり、あたりまえのように巨人ファンになってしまうわけだが、試合を追いかけるうちに、野球というスポーツそのものが好きになった。
他の団体スポーツとは違い時間制限がなく、最終回2アウトまで勝つ可能性がある。そんなドラマ性がもたらす数々の名試合を目の当たりにして、すっかり野球というスポーツに魅了された。

通っていた日向学院高校にも野球部はあった。が、万年弱小チームでトーナメントを勝つ進むことができず、高校野球の県予選が始まっても応援に出向く生徒は少なかった。
ほとんど期待されていなかったのだ。
3年の夏、教室がざわつき始めた。あの野球部が県予選を勝ち進み、創部以来初のベスト4まで勝ち残ってしまったのだ。慌てふためいた学校は即席応援団を結成し、男子校であったため、となりの女子校に急遽チアガールを要請するなど、慣れない事態がゆえのドタバタ騒ぎとなった。

1980年、夏の全国高校野球選手権大会。日向学院高校は宮崎代表として甲子園の土を踏んだ。もちろん初出場であり、もちろん応援に駆けつけた。
1回戦の旭川大高校戦。1対1の接戦となり延長戦までもつれ込んだ13回表、日向学院は2点を奪い応援席は熱狂の渦となった。
しかしその裏、連打で1点差とされてムードが一変。続く二、三塁の場面でタイムリーを打たれ同点、二塁走者が完全にアウトのタイミングながら体当たりで本塁に突入し、クロスプレーで腕を骨折した捕手が落球、逆転サヨナラ負けを喫した。

応援席の前に並んだ選手たちはみんな泣いていた。応援席のみんなも泣きながら精一杯の拍手と声にならない声をかけ続けた。
この夏の、終戦を告げるサイレンの音と本塁クロスプレーの土煙の情景は今でもはっきりと覚えている。

 
「新しい野球用品ブランドを始める。ついてはロゴマークをデザインしてもらえないか?」アマダナスポーツエンタテイメントの熊本浩志さんから依頼があった。
熊本氏は宮崎出身の実業家。デザイン家電で名を馳せた「amadana」グループの創業者でありCEOでありながら、社会人軟式野球の強豪チーム「東京ヴェルディ・バンバータ」の監督を務めるという二足のわらじの通称「クマカン」。同郷ということもあり、宮崎人が集う飲み会などで焼酎を酌み交わす仲だった。

野球ブランド「Yabane」はプロ野球選手も愛用していた東京発の老舗ブランド。アマダナスポーツエンタテインメントがブランドを継承し、野球人口拡大を旗印に再活性化させたいという。
野球用品のロゴデザインという魅力的な仕事だが、なにより熊本氏から仕事が来たということが嬉しかった。彼の尋常ならざる野球愛に共感していたからだ。

宮崎県有数の進学校、宮崎西高校の野球部に在籍し、キャッチャー兼キャプテンとして少ない部員を率いて私学の強豪校を破ったこともあるという。現在のチームの前身「東京バンバータ」は、“発足から3年で優勝できなければ解散“を目標に掲げ、3年後の全日本軟式野球大会で見事初優勝。その後、4度の全国大会優勝を果たした。

強い相手にどう勝つのか?との問いに、頭を使って勝つんですと教えてもらったことがある。圧倒的な戦力を誇る相手に、仕掛けのタイミングや心理戦で挑み、持てる力を最大限に活用して勝利を掴みとると。

野球で培ったその戦い方は、今のビジネスにも直結しているという。野球から得た知見をビジネスに生かし、ビジネスで得たブランディングという考え方をチームに取り入れる。実際、東京ヴェルディ・バンバータのブランドデザインは他チームと一線を画し、新しくカッコよく革新的だった。こんな野球チームは今まで見たことがない。

Yabaneのロゴデザインは従来の野球表現にはないフォルムを目指し、マークは名前の由来である戦いの印「矢羽」をモチーフにVの字を重ね合わせた。
プロダクトだけにとどまらず、このブランドを足がかりに新たなベースボールカルチャーを創造したいという想いに、拡張性のある唯一無二のデザインで応えたかった。

「グラブはもっと自由でいい」をコンセプトに開発された商品は、機能性を担保しながらカラフル&ファッショナブルで新しい。クマカンから好きなグラブをプレゼントすると嬉しい連絡があり、ネイビー&レッドをオファーした。届いたら久しぶりにキャッチボールをしようと思う。

 
巨人軍はかつての常勝チームではなくなった。何度も裏切られ、何度もため息を漏らし、何度もファンをやめようと思った。それでもやはり勝敗が気になってしまうのは、父のDNAを受け継いでしまったからか。
今シーズン、連敗が続く中で、孤軍奮闘し勝星を重ねる宮崎出身の投手に一縷の望みを託したが、またしても悲しい順位に終わってしまった。

日向学院は初出場以降、夏の甲子園に進出できなかったが、5年前に希少なチャンスが巡ってきた。全国高校野球99回大会県予選で決勝まで勝ち進んだのだ。
応援せねばと急遽宮崎まで赴き、宮崎空港から直行で決勝戦が行われるサンマリンスタジアムに向かった。

対戦相手の聖心ウルスラ学園は強かった。先発投手の切れ味鋭い投球は、遠く離れた観客席にもその威力が伝わり、打線はまったく歯が立たたなかった。
日向学院は、なすすべなく敗退した。

ウルスラ学園の完投した優勝投手は、その後巨人軍に入団した。
何の因果なのか。今や巨人のエースとなった、戸郷翔征選手である。

母校日向学院、そしてジャイアンツ。来年こそは夢を見させてほしいと切に願う。


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D/MIURA YUKA