「元気を産もう、宮崎県」 〜口蹄疫、発生から終息まで。その1〜

「元気を産もう、宮崎県」 〜口蹄疫、発生から終息まで。その1〜

2010年4月20日、宮崎県児湯郡都農町で口蹄疫が発生した。爆発的な感染拡大の勢いはとどまることを知らず、同年5月18日、東国原知事が”非常事態宣言”を発令、発生地域半径10km以内の全頭を処分する計画を発表した。

口蹄疫とは、牛、豚などの偶蹄目(蹄が偶数に割れている動物)が感染する家畜伝染病のひとつで、高い伝播性、生産性の低下、幼獣での高い致死率という特徴を持つ。感染が確認された場合、感染拡大を防ぐため、罹患した患畜は発見され次第殺処分される。

また他地域の家畜への伝播を防ぐため、地域・国単位で家畜の移動制限がかけられ、畜産物の輸出ができなくなる。これらによる経済的被害が甚大なものとなるため、畜産関係者から非常に恐れられている病気である。

1997年、台湾で発生した口蹄疫は、4日目で「台湾西部全域に感染宣言」がなされ、2週間後に台湾全域の畜産業に伝播。毎年16億米ドルを稼いでいた食肉輸出業は壊滅した。2001年、イギリスで発生した口蹄疫では殺処分された家畜の総数は650万頭以上におよび、影響は畜産業だけでなく検問などで交通が制限された為に観光業などにも拡大、日本円に換算すると1兆4千億にのぼる経済損失をもたらした。

この疫病の恐ろしさは、畜産業はもちろん、農業、流通、交通、観光、飲酒業、教育など、地域の全ての産業、経済と市民生活の全てにおいて甚大な影響を及ぼすところにあった。発生から一ヶ月経過し感染はさらに拡大、宮崎は未曾有の危機的状況に晒されていた。

東京のメディアからその状況はまったく伝わってはこなかった。宮崎の惨状をリアルタイムで教えてくれたのはツイッターだった。

口蹄疫発生の数ヶ月前、仕事で郷里の宮崎を訪ずれていた。アテンドしてくれた友人にツイッターの存在を教えられ、強制的にアカウントを持たされた。それまでSNS的なものに対して懐疑的で一生やらないとうそぶいていたのだが、その友人の影響力もありツイッターを介して多くの宮崎人と知り合うことができた。

4月20日を境に宮崎のフォロワーのタイムラインに異変が生じはじめた。能天気なツイートの狭間に「口蹄疫が発生したらしい」「感染が止まらない」「非常事態」「自衛隊に災害派遣を要請」「殺処分」など尋常ならざるツイートが日を追って増えていく。

殺処分に駆り出される県職員の絶望的な現場報告や、添付される写真、畜産業者のブログなど、それはもはやツイートではなく悲痛な叫びに近かった。ツイッターと報道との温度差に憤りを感じながらも、焦っていた。何か出来る事はないのか?

「場所押さえました」。非常事態宣言が発令された翌日、宮崎在住の後輩デザイナー牧野剛乙君から突然連絡があった。「東京ミッドタウンの中にあるスペースを使って、宮崎を応援したい。一緒に企画して欲しい」。

彼の行動は早かった。出身大学が所有する東京ミッドタウンのサテライトスペースに連絡を取り、奇跡的に空いていた期間を即座に押さえたのだ。やる事は未定だったが、願ったりである。実施はいつから?の問いに彼は答えた。「5月29日からやります。10日後です」。絶句した。一刻の猶予も無かったがあまりに時間がなさすぎる。その日のうちに東京で働く彼の後輩デザイナー4名(全員宮崎出身)とアポを取り、やる事と役割分担をザックリと決めた。

翌日、ツイッターにメッセージをポストした。
『宮崎口蹄疫。同県出身の有志が集い、デザイナーとして出来ることをやります。宮崎で今何がおこっているのか?正しい理解と、早急な支援の必要性を訴える試みです。5月29日から、場所は東京ミッドタウン・デザインハブ、九州大学・芸術工学東京サイト。今日現在の殺処分対象家畜130,258頭。』

明快なプランもなく、日頃から戯れ言(今でも)しかつぶやいていなかったので、ツイートするのに躊躇したが、腹を括った。ネットに放り込んだ以上やるしかない。

直後、想像もしていなかった事が起きた。次々とメッセージが飛び込んできたのだ。「手伝える事はないか?」「自分も参加したい」「宮崎の人間ではないが協力したい」。デザイナー、コピーライター、知人、そうじゃない人からの沢山のメッセージ。正直泣けた。スケジュールもなく見切り発車な状況だったため、丁寧にお断りするしかなかったが、意義ある企画にしなくてはという思いはよりいっそう強くなった。

宮崎の惨状は東京でもようやくトップニュースとして報道されはじめた。ただ依然、実状との温度差は否めなく、それをリアルに伝えられる手段を模索していた。会場の九州大学・芸術工学東京サイトは、高さ2メートル幅8メートルのガラスの壁で仕切られているスペースだった。このガラスの壁を有効利用しようと考えた。

当初は小さな牛型のシールを印刷し、増えていく殺処分対象家畜の頭数をガラス面に淡々と貼り付けていくというインスタレーションを考えていた。宮崎で起こっている出来事を情緒を排して可視化しようと思ったのだ。

しかし、このアイデアはすぐに撤回せざるを得なかった。感染スピードが凄まじく、この方法ではとても追いつけないということがわかったのだ。

急遽企画を変更し、2m×8m のパネルに10万頭の牛と豚を印刷することにした。数字だけではリアルに伝わらない”規模”を目に見えるカタチで提示しようと考えた。実際の殺処分頭数はパネルの前に設置したモニターでリアルタイムにカウントしていく。

コンピュータ上でイラスト化した牛と豚をレイアウトしていった。画面が真っ黒で何が何やらわからない。小さなモニターに10万頭はもはや網点状態なのである。実際のサイズでプリントアウトするまで何が上がってくるのか見当がつかなかった。

開催前日深夜、会場に搬入されたパネルを目の当たりにして慄然とした。2×8メートルの巨大スペースにぎゅう詰めで配置された一頭、一頭はあまりに小さかった。何が起こっているのか理解していたつもりだったが、事態の深刻さは自分の想像をはるかに超えていた。その時はじめてわかったのだ。宮崎でとんでもない事が起きている。自分が携わった表現で鳥肌が立ったのはじめてのことだった。

10万頭パネルと同時に会場入り口のパネルも制作していた。ツイッター上で更新される宮崎の状況を見守りながら作業を進めていたさなか、写真が添付されたツイートに目が留った。それは街頭に貼られた宮崎在住小学生の応援メッセージを写したものだった。見た瞬間ツイートした人にダイレクトメールを送った。

「今ツイートされた写真のメッセージを使わせて下さい」用途を説明し快諾を得た。応援メッセージの使用許可を取ってもらい、FAXでそれを転送してもらった。パネルに載せたい、いや、載せるしかない。そこにはこう書かれてあった。

「こうていえきにまけるな がんばろう宮崎!!」

つづく






『私たちが、今できること。~宮崎を想う東京の仲間より~』
2010年5月29日~6月13日、東京ミッドタウン、九州大学・芸術工学東京サイトにて実施。宮崎の実況報告、口蹄疫の正しい理解、具体的支援策の情報提供を目的とした。短期間の実施だったが、同会場の最多動員数を記録した。
プロジェクトスタッフ/牧野剛己、日高英輝、鵜久森徹、横山盟、赤松裕次郎、奈須裕也、野間巨樹、パネル制作協賛:大洋印刷株式会社